2014年12月9日火曜日
オープンから。
ラストダンス当日に配布される僕がミックスしたCDが業者から届きました。
当日はキャッシャーでの配布ではなく、バーラウンジにまとめておいておくんで、欲しい方は遠慮なく持っていって下さい。
入場料は一律1000円(1D)でオープンは22時です。
オープンから僕がDJします!早い時間だからと言ってやさしいDJはしませんよ。
オープンから飛ばします!
順番は僕~ワタル~ヤマザキ&マリアのダンスタイム~タチ(一本勝負)~シマ(一本勝負)~僕~ワタル~最後は好きにやります。
さっきマニールのオショウ君と電話してて、オショウ君が「ラストダンス当日は弁当持ってきて、昼までやれ」だそうです。
ありがたいお言葉ですね。出来る限り頑張りたいと思います。
今晩は少しだけマイノリティに行こうかなと思います。
ミヤジ君、いろいろありがとう。よろしくお願いします。
(KENJEE)
2014年12月8日月曜日
今週末LASTDANCE。
2014.12.13(SAT)HOUSEGROW -LAST DANCE- @MINORITY
OPEN/ 22:00
DJ/ KENJEE, TACHIBANA, WATARU TAKANO, SHIMA
DANCER/ Lapis Lazuli ( Maria Mae, Keisuke Yamazaki)
DECO/ TACO
FOOD/ くの一家
DOOR/1000YEN(1D)
*来場者にHOUSEGROW LAST DANCE SPECIAL MIXCD(MIXED BY DJ KENJEE)プレゼント!
いよいよ今週末となりました、HOUSEGROWラストダンス。
8月に終わる発表をしてもう12月で、今週末パーティーなんですね。
何度も書いてしまうけど、本当にやりきったという気持ちが強いですね。
個人的にはHOUSEGROWがはじまる前の準備期間を含めれば13年間やってきました。
HOUSEGROWがはじまる前は僕自身が週末にDJをする事に飢えていたし、年齢的にも25、6でモチベーションがものすごく高かったんです。
パーティーがはじまるタイミングが良かったと思うし、逆に今回自分達がやりきったという思いをもって、公式発表をして今回ラストダンスを迎えれるって言うのは本当幸せだなって思います。
僕にパーティーを任せてくれたクラブスタッフのミヤジ君をはじめ、ノザワ君、キリタニ君、オショウ君には心から感謝してます。
HOUSEGROWはじめた頃はDJブースやダンスフロアを毎回移動させて、準備もすごく大変だったと思います。
クラブの経営もすごく大変な時期だったと思うし、そんな中で僕らもスタッフも一緒になって頑張ってやってきました。
昨年はマイノリティ閉店の話が出てね。昨年の1月中旬に聞いて3月末でやめるって。
決定事項として僕らDJに伝えられ、HOUSEGROWもどうして行くか岐路に立たされてね。
僕はマイノリティをどうにかして残さないと絶対にもったいないなって思ってて。
だからすぐに次にオーナーになってくれる人を探しました。
昔から付き合いがあって、「この人なら」って思う人がいてね。
電話して僕がわかる範囲でマイノリティの事を説明して。
僕もお金を出すという条件でオーナーになってもらえないかとお願いして。
翌週にお店を見に来てくれて、僕もデモンストレーションでDJして。照明も動かしてもらって、明るめの選曲でロングミックスしましたね。
結局、そういう動きや周りの意見などいろいろあって閉店が覆って続投に。
その時はスタッフの事とか、いろいろあったんです。
僕もただパーティーやってきたわけじゃないから。
そんないろんな事があってのラストダンスなんです。
自分の出来る事は全てやったかなって思ってます。
素晴らしいクラブでやれる最後のHOUSEGROWになります。
どうぞよろしくお願いします。
(KENJEE)
2014年12月7日日曜日
買い物。
もう12月で今年もあっというまに終わってしまいますね。
12月のイベントごとと言えばクリスマスですかね。
今までクリスマスプレゼントも買った事あれば、忘れてたりしてね。
今年は買いました。
奥さんには日頃からよくしてもらってて、まあ買っておこうかなって感じで。
マホちゃん、マリちゃんとこでディーゼルのニット帽とマフラーのセットを色違いで2セット。黒と紺。
彼女は紺色で僕は黒。
マフラーとか帽子はもってなくて、したことないんですけど、意外にいいものですね。
彼女は嬉しかったみたいで一日ずっとしてました。
マホちゃん、昨日はあれこれありがとうございました。
今日放送されたのしっかり録画しましたよ。
(KENJEE)
2014年12月6日土曜日
昨日から雪。
先週からの天気予報では昨日の金曜日から雪マークにはなっていたんだけど、まあ予報だし、まだ降らないだろうと思ってたら、予報は見事的中でした。
昨日からかなりの雪が降り続いています。
外も走れなくなって、競技場の室内トレーニング場に行っています。
タイヤ交換もしてない人もけっこういたみたいで、昨日は夕方6時過ぎから41号線が大渋滞でした。
夜もけっこう降ってて、マイノリティ行くのどうしようかと迷っていたんだけど、マジメに行ってきました。
若手DJのミサキちゃんがはじめたパーティーで前に「行くよ」って言ってしまったし、約束は守る方なんでね。
メンツはミサキちゃんの他に、サンショットのタイキとか、エリチャンスーとかアペパとか。
王道の四つ打ちテクノ、ハウスのパーティーで若手DJでこういうのやってもらいたかったんです。
ハウスのパーティーに行った事ない人にハウスのパーティーは出来るわけないし、DJに関しても体験してないとしっかりしたイメージをもってやっていけないですよね。
ただなんとなくハウスを知っていて、ただなんとなくパーティーをはじめても継続力も説得力ないと思うので、僕らのパーティーを含め、いろいろ遊びに出掛けてもらいたいなと思います。(ちなみに僕らは来週末で終わります)
カズ君とも昨日話してたんだけど、僕らの下の世代でがっちりテクノ、ハウスをやろうと思う人がほとんどいなかったのも、僕らがそこまでの関係性をもっていなかった責任はあると思います。
下の世代の人達ともっと前から交流があれば、また今の状況は違っていたかなと思っています。
僕は自分の事言うと、特に仲のいい先輩DJはいなくて、誰かの下に入ってやるってのが正直嫌だったんです。
兄貴がテクノDJやってて、基本は教えてもらってたけど、それだけですね。
その分、自分で好きなDJのパーティーは遊びに行ってて、「ハウスのDJはこういうものなんだ」って確固たる自分の中で理想のDJスタイルがあって、その自分の思う理想のスタイルにとにかく近づくように努力してきました。
そういう「これだ!」って思う理想のスタイルがずっとあったから、今の今まで全くぶれる事はなかったです。
今はDJはそんなに練習しなくてもデジタル化が進んで自分の耳で合わせなくても、オートシンクで幅広いジャンルをプレイ出来るけど、逆に「このDJはこれだ」って言うDJのベースが全く見えてこないんですね。
いろいろまわせても、何がベースになっているかわからないし、テクノ、ハウスの事だけ言えば、そこのコアなファンを踊らす事は出来ないんじゃないかと思います。
いろいろ出来る器用さも大事だけど、自分自身の絶対と思えるベースがもっと大事なんじゃないかと思います。
そういう思いをもって僕は今までハウスDJをやってきました。
(KENJEE)
2014年12月5日金曜日
タイム。
昨日は夕方から県総合運動公園へ行ってきました。
普段は道路走ってるんですけど、もう夕方は真っ暗だし、車にも気をつけないとひかれて死んじゃってしまっては、どもこもないので。
それこそ、本当の「ラストダンス」になっちゃうじゃないですか。
そういう意味じゃここは安全なんで。
1周2.1キロを6周で12.6キロを走るんですが、今タイムはどれくらいなのかなって計ってみたいのもあってね。
終わってタイムを見ると12.6キロ、55分台でした。
自己最高でした。
歳いってもけっこういけますね。自分の事がより一層大好きになりました。
先週末はミヤマチベイビーベイビーこと、ミヤとここで二人で走ったんですよ。
ミヤは来週のホノルルマラソンに出るらしくて、「ホノルル行く前に一度トレーニングのため、一緒に走りましょう」って話になってね。
1周、2周はミヤと喋りながら走ってて、ミヤの女の子の好み聞いたり、彼女の有無を聞いたりしてね。
喋りながら走ると、呼吸が乱れて余計に疲れるんですよ。
3周目からはお互い無口になっちゃてね。
僕もそこそこミヤにみせておかないといけないから、途中からは彼の前を走ってました。後ろを走るわけには行きませんから。
ミヤ、頑張って来て下さい。俺はいつも頑張ってますから。
そういえば今日ニュースで見たんですけど、J1ベガルタ仙台の柳沢選手が現役引退を発表しましたね。
びっくりしましたね。ベガルタから契約延長のオファーがあったみたいだし、先日のガンバ戦で点も決めてたし。
何度かここでも書いてたけど、柳沢選手は高校のサッカー部で一緒だったんですけど、学年は僕の一つ下でね。
中3の時にはU15の日本代表に選ばれていて、高校入学時は特待生で入ってきてね。
中学校卒業間際の3月にはもうチームのウルグアイ遠征に参加しててね。卒業式にも出ずにですよ。
当時は中学生で行ったのは彼だけですよ。
それだけもう当時から期待されていたんですよね。
はじめてのチームの合流でいきなりこの遠征で。
成田空港からの行きの飛行機で僕の横は彼だったんですよ。
スーパーな選手の初合流、初遠征だったから、僕なりに、けっこう気を使いましたね。
トップチームの練習とか遠征ではずっと一緒だったけど、僕の力が足りなくて、大事な大会でメンバーに入る事はほとんどなかったけど、冬にあった大会で彼がユース代表の合宿で抜けた時に代わりに入れた時がありました。彼の背番号は当時20番でそれをそのままもらいました。
ある意味彼のおかげで試合に出れたし、それが最初で最後の先発で出た大会でした。
とにかく彼はいつもまじめに練習してたし、人の悪口は絶対に言いませんでした。チームのみんなからもすごく好かれていました。
プレイは丁寧で正確でスピードがあってヘディングが強かったですね。
彼に会ったのは随分前ですね。日韓ワールドカップ前だったと思いますが、友達の二次会が駅前のレストランであって、そこに彼も来てました。
僕も少しだけ話したんですけど、当時週刊誌で撮られてた彼女の事を軽くつっこんで聞いたりしてね。
本当いい選手だったし、まだやれたんじゃないかと思うけど、ああいう惜しまれて辞めるのってなんかカッコいいですね。
続けるかっこよさ、辞めるかっこよさ。
少しだけ勉強になりました。
(KENJEE)
2014年12月3日水曜日
最後のミーティング。
今ワタルんちから帰ってきました。
今日は最後のHOUSEGROWミーティングでした。
パーティーはじめた頃からずっとワタルが住んでたとこでミーティングやってました。
ワタルと知り合ってパーティーがはじまった頃は、ワタルは大学生で20歳くらいだったかな。
それからずっと彼の住んでたアパートや共同で住んでた借家とか集まる時は常にワタルがいるところでした。
今彼が住んでるところは僕が住んでるとこと近くで都合がいいんですね。
今日は最後のミーティングだったけど、ワタルの誕生会も少し兼ねてね。
33回目の誕生日。おめでとうございます。
パーティーもずっと一緒にやってきたけど、8年くらい前に僕の働いてるところにアルバイトにきたのがきっかけで、その翌年に採用試験受けて見事合格。
4人採るとこに100人受けに来て、25倍の倍率も関係なくね。
それから仕事も同じなんです。
今日はミーティングでラストダンス当日のタイムテーブル決めてました。
最後だからみんなが納得した時間帯、プレイ時間にしたいと思ってたんだけど、みんがが気持ちよくオッケーしてくれて満場一致で決まりました。
タチ、ワタル、シマ、僕。
自分で言うのもおかしいけど、本当ベストなメンバーで今までやってこれたなって心から思ってます。
パーティーもそうだけど、それ以外も含めて楽しい時間、充実した時間を過ごしてこれたのは間違いなくみんなのおかげだったし、そういういい関係をずっと続けてこれた事に心から感謝してます。
帰り際にタチが僕の兄貴のモノマネをするんですよ。それがまたおかしくて大爆笑して解散しました。
HOUSEGROW最後のミーティングだったけど、まだまだみんなと会うつもりだし、HOUSEGROWはまだ終わっていません。
終わるのをもう1年延ばせば良かったかなって思ったりしてね。
来週末ラストダンスです。
(KENJEE)
2014年12月1日月曜日
HOUSEGROW HISTORY。
2002年6月HOUSEGROW スタート
2003年6月HOUSEGROW1周年・・・DJ TARO KAWAUCHI(NITELIST)
2003年11月・・・・・・・・・DJ EMMA(NITELIST)
2004年3月・・・・・・・・・・KUNIYUKI TAKAHASHI
2004年7月HOUSEGROW2周年・・・DJ ALEX FROM TOKYO
2004年11月・・・・・・・・・DJ YOKU(A HUNDRED BIRDS)
2005年3月・・・・・・・・・・DJ BAN(JET SET)
2005年6月HOUSEGROW3周年・・・DJ TIMMY REGISFORD(NYC,SHELTER)
2005年11月・・・・・・・・・DJ ANDRE COLLINS(NYC)
2006年5月HOUSEGROW4周年・・・DJ TIMMY REGISFORD(NYC,SHELTER)
2006年11月・・・・・・・・・DJ DANNY KRIVIT(NYC,718SESSION)
2007年5月HOUSEGROW5周年・・・IDJUT BOYS(UK,LONDON)
2007年11月・・・DJ LARRY HEARD A.K.A MR FINGERS(CHICAGO)
2008年2月・・・DJ KENTARO IWAKI、DJ HIKARU
2008年3月・・・KUNIYUKI TAKAHASHI(LIVE出演)
2008年6月14日(SAT)HOUSEGROW6周年・・・DJ JOAQUIN JOE CLAUSSELL(NYC、SACREDRHYTHM)
2008年11月8日(SAT)・・・DJ ALEX FROM TOKYO(NYC, TOKYO BLACKSTAR,INNERVISIONS)
2009年2月14日(SAT)・・・DJ JUZU A.K.A MOOCHY
2009年6月13日(SAT)HOUSEGROW7周年・・・DJ TODD TERJE(OSLO/NOLWAY)
2009年11月6日(FRI)・・・DJ FRANCOIS・K(NYC,WAVEMUSIC,DEEP SPACE)
2010年7月23日(FRI)HOUSEGROW8周年・・・DJ THEO PARRISH(DETROIT,SOUND SIGNATURE)
2010年8月14日(SAT)・・・DJ KAZUMA & Mind-bending
2010年11月12日(FRI)・・・DJ QUENTIN HARRIS(NYC,STRICTLY RHYTHM)
2011年7月16日(SAT)HOUSEGROW9周年・・・IDJUT BOYS(UK,LONDON)
2011年11月19日(SAT)・・・DJ MASA a.k.a CONOMARK(GRASSROOTS)
2012年7月13日(FRI)HOUSEGROW10周年・・・DJ NOBU(FUTURE TERROR,DAZZY DJ NOBU)&cro-magnon(JAZZY SPORT)
2013年7月13日(SAT)HOUSEGROW11周年・・・DJ PRINS THOMAS(OSLO/ NORWAY)
2013年10月12日(SAT)・・・TOMOYUKI TATENO(INNOCENCE,『 』)
2013年12月14日(SAT)・・・DJ CMT(POWWOW)
2014年6月6日(FRI)HOUSEGROW12周年・・・DJ NICK THE RECORD(UK,LONDON)
2014年10月11日(SAT)HOUSEGROW LAST GUEST・・・DJ MOODMAN(HOUSE OF LIQUID,GOD FATHER,slomotion)
2014年12月13日(SAT)HOUSEGROW -LAST DANCE-
今日のお題はHOUSEGROW HISTORYだって。
なんだか重たいですし、大袈裟ですね。
なんでも大袈裟に、大きくいきましょう。
恒例の過去のゲストDJをまた書いておきます。
今まで作ってきた大きいポスターがLASTDANCEの時に必要になったんで、そのついでですね。
上のポスターはHOUSEGROWの初外タレ、ニューヨークのティミーレジスフォードですね。
HOUSEGROW3周年とクラブマイロ5周年でやる事になった当時のパーティーです。
ゲストばかり呼んでやってきた風に見えるかもしれないけど、僕らだけのレギュラーパーティーももちろんがっつりやってきましたよ。
だから13日のLASTDANCEで開催130回目なんですよ。
HOUSEGROWは2002年の6月にはじまったんですけど、当時マイロでハウスやってた若手は僕くらいしかいなかったんですよ。
世代交代がぱっとはじまって、マイロもノンゲストのレギュラーハウスパーティーをやっていきたいって事でミヤジ君と話て僕がオーガナイザーになってメンバーをある程度決めて、とにかくマイロでもオープンからの2年は平日しかDJする事なかったし、週末にDJする事に飢えてましたね。
とにかく気合いは入ってましたね。
パーティーははじまった時はちょうど26歳になったばかりの時で、若さと勢いでやる気に満ち溢れてましたね。
毎月の第2金曜日ではじまってね。
自分のDJも大事だし、お客さんも集めないといけないし。けっこうプレッシャーもありました。
金曜日ではじまったんですけど、少しづつお客さんが増えてきて、2年目から土曜日に移ったんです。
そこからぐっとお客さんがまた増えてね。
その流れで今もHOUSEHGROWは第二土曜日なんですよ。
沢山集客したらしたで、ちゃらいパーティーで、DJも大した事ないんやろと思われるのがとにかく嫌だったから、家では毎日DJしてて、海外のDJのプレイとか東京のクラブの事もオーガナイザーとして体験してないと、こっちで頑張ってても何か説得力ないなって思ってたから、平日でも週末でも一人で飛行機乗って東京行っていろんなDJ聴いてきました。
新譜のレコードのチェックも毎週必ずやって、沢山レコードも買ってました。
ハウスDJのスキルというかテクニックはやっぱりいろんなDJ聴いてきたから、マネもあったし、マネから自分なりのスタイルにしていった部分もあったと思います。
同じ曲、同じレコードを使った2枚使いは得意でした。
今はCDJやPCでループ機能があるから、レコード使って戻して戻してってやる必要がないから、いいですね。
実家にいた頃もとにかくレコードとターンテーブルはよく触ってました。
右手の中指でピッチコントロールを上から押さえて、人差し指を横に添えるんです。
ミキサーのフェーダー、LOのつまみを触るのは左手なんです。
だからいつもDJミックスの時は左右どちらのターンテーブルを触るのが右手でミキサーは左手。
左のターンテーブルの曲をかける時はみんなにもよく言われるんですけど、右手でタンテと左手がミキサーだから手がクロスするんです。
知り合いは僕のDJの時のマネするんです。だけどそれが僕のDJする時のスタイルなんです。
今後も絶対そのスタイルは変わる事はないですね。
上のポスターのティミーレジスフォードをゲストに呼んだ話をしようかな。
当時ゲストを呼ぶコネクションなんて全くなくて、日本人のDJ EMMAもコネクションがなかったからにEMMAがレギュラーやってた東京のアゲハまで行って、話してきてね。
HOUSEGROW3周年とマイロ5周年でけっこう大きいパーティー打つ事になってそこで外タレやろうって事になったのはいいけど、それももちろんコネクションがない。
当時東京西麻布のクラブ、イエローが毎月頻繁にニューヨークのDJを呼んでたから、「ここに電話したらどうにかなるかもしれない」って思って、イエローに2005年の2月に直接電話したんです。
そしたら、「6月にティミーレジスフォードのツアーが予定されている」って事で、ティミーのプロモーターから僕の方に直接電話させるって言う話になったんですけど、全く連絡がなくて、僕から電話したんですね。
まあ、電話したのはいいけど、僕の事なんか全く知らないわけだし、正直言って相手にされてない感じでした。
それからまた電話して、パーティーの状況とかクラブの状況とか細かく説明して。
提示されたギャランティーも今と比べるとすごい金額だったけど、とにかく必死だったから「お金は必ず僕がどうにかしますから」って返事して、そこでやっと一歩前に進んだ感じだったと思います。
ジャパンツアーだから、日程の調整もあるわけだし、富山の僕らを先に決める事も出来ないんですよね。
大都市から順番にって感じだから、まだ確定させてもらえないんです。
そして4月に頭にまた電話して「僕が必ず責任もってやるんでとにかくお願いします!」って言ってそこでやっと確定の返事をもらったんですね。
その時のツアーは、東京イエロー、大阪グランカフェ、名古屋JB'S、富山クラブマイロの4公演だったと思います。
交渉から決定まで2ヶ月半かかったと思います。
粘り勝ちと言っていいかな。
決まった時は嬉しかったけど、肝心なのは当日のパーティーでね。
パーティー当日までみんな本当良く頑張ってマイロぱんぱんにして盛り上がってね。
家帰って泣きましたよ。
それからはそのティミー他多数のプロモーターの亮さんもそうだし、セオパリシュ他多数やってるハギさんとはいい関係が続いています。
HOUSEGROW3周年で「僕らにも出来るんだ」ってパーティーに対して大きな自信を持つきっかけになりました。
それからはどんな状況になろうとも、今の今まで自信持ってやってます。
かなり長くなりましたね。
そんな話なんです。
やっぱりHOUSEGROW HISTORYって大袈裟ですね。自分でも笑ってしまいます。
それでは。
(KENJEE)
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