ここぞとばかりにOBづらしたいと思います。するしかないでしょう。
思い出話も書こうかな。
サッカー部はやっぱり人気で地元でも強いから部員数が100人くらいにはなりますね。
僕の世代の時は富山インターハイを3年生の時に控えてたから、とにかく富山でサッカーうまい奴がみんな特待生で入ってきてて、僕は滑り止めで入って来たから、上のトップチームに上がっていくのには本当大変でした。
今は公式戦のメンバー登録って25人みたいだけど、僕らの時は20人だったから難しかったですね。
自分の事を言えば、遠征のメンバーにはほとんど入っていて、いろんなとこ行ったけど、肝心の富山での公式戦でメンバーに入って先発で出てのは2年生の時の新人戦って大会だけでしたね。背番号は20番でした。
新人戦だから、翌年のチームのこれからって感じのメンバーだったから、そこで出れて、得点もして優勝したのは嬉しかったけど、結果的にはそこだけになってしまいました。
とにかく層が厚いし、代わりなんかすぐ出てきますからね。
3年間だったけど、そういう厳しさはいい経験になりました。
自分なりに一生懸命やってだめだったから、悔しいとかそういうのも全くなかったですね。楽しかったですよ。
僕ら3年生の時は最後の選手権は決勝で負けて、全国へは行けませんでした。
上の写真はウルグアイ遠征の時ですね。
2年の時と3年の時と2回行く事になって合わせて現地で2カ月生活してました。
僕らの合宿所に来てた現地の子と仲良くなって、その子のファミリーとも仲良くなって家に夕食の招待までされていたんです。
1年目に行った時に仲良くなって、日本に戻ってきてからは手紙書いてました。
スペイン語と英語で書きましたね。
2年目も宿舎に遊びに来てくれて、試合も見にきてくれてて。
この写真とった日は2年目で日本に帰る当日にそのキズルモって子と家族が最後に会いに来てくれて。
赤のコーラのTシャツは前に僕があげたんですけど、それを着て会いにきてくれて、沢山のプレゼントと白の帽子をもらって、それを被って写真とりました。
もう帰り際、号泣で大変でした。長峰監督が肩をたたいてくれて最後にみんなで食堂でご飯食べて、宿舎を出たのを今でも覚えています。
高校のサッカー部での3年間はいろんなとこ行けたし、サッカーを通じていろんな経験が沢山出来たから、どれもがいい思い出です。
この写真はずっと大切にしています。
話を戻して、戻してあらためて全国優勝おめでとうございます!
本当すごい!
(KENJEE)