2024年10月12日土曜日

監督。

 小学生の時に所属していたサッカー部の監督が先日亡くなった。


今では考えられない厳しさで、ビンタをくらう事は当たり前。


だけど、技術練習では自ら手本を見せてくれて、リフティング、シュート、ドリブルなんかはすごくうまかった。


全体練習に入る前にリフティング500回をやってからでないと入れない。まずはそこがスタート。



練習メニューもいろいろあったと思うんだけど、目的が明確でなぜこの練習をやっているんだろうと疑問に思う事は一度もなかった。




雨がひどい日は監督の自宅でサッカーのビデオを観るんですね。ワールドカップの82年とか86年とか、他高校サッカーもちょっと見たかな。当時はサッカーのテレビ放映はほとんどなかったから、貴重な映像で、貴重な時間でした。プレーのイメージを膨らませるとても良い機会でした。



監督のすごかったところはいくつかあるんだけど、何をおいても勝たせるチームに毎年作っていく事。


僕らの時はほぼ負けた記憶がない。全国大会に行く事も出来たし、県外の強豪チームとたくさん試合をした。


どんなに勝っても僕らを調子にのらせない、天狗にさせない、そういう事は毎日の練習や試合後に必ず言っていて、誰もがひたむきに小学生ながら練習していた。


練習後のコーンの片付け、グラウンド均し。毎回きれいに均したし、率先してやるようにしていた。ボールやスパイクの道具を大切にし、スパイクはいつもピカピカに磨いていた。そういう習慣が身についていて、今でもスニーカーはきれいに履いています。


ヨットマンの遊びのサッカーの練習後も必ずグラウンドをきれいに均し、これだけはみんなにうるさく言っていましたね。



僕らとひとまわり違う下の世代もうまい奴がごろごろいたらしく、何十年と強いチームであり続けた。



ミチハルがいい例で高校出てからJリーグに行って今では地元のプロの監督。昇格争いの大変な時に通夜に来ていた。本当に義理堅いいい奴なんです。



監督の下でサッカーをやっていなかったら今の人生はなかったとも思う。あの人の元でいろんな事を教えられた気がします。


サッカーへの情熱、僕らへの愛情、それをいつも感じていたから何ひとつ不満はなかったです。


基本の大切さ、一生懸命最後までやりきる事、謙虚な姿勢を持ち続ける事。


DJをやってきた事、パーティーを維持してきた事、仲間を大切にする事、今の自分に大きく影響しています。




監督には感謝の気持ちで一杯です。合掌。

(KENJEE)